新政権の第一番の命題が「景氣回復」だそうですね。
社会が、経済が復興すれば世の中が変わり幸せになるということでしょうか。
景氣を回復?
回復とか復興というのは戻るということですが、一体どこまで戻ればいいのでしょうか。
バブル景氣まで遡りたいのでしょうか?
誰もが常軌を逸してクレイジーだったあのマーヤというはじけるバブル(泡)ですか?
もしそうなら、それは無い物ねだりの駄々っ子のようです。
そして、我が国の領空、領海は侵させない断固とした態度で壁をつくるのだ
ということも政策として添えていました。対、中韓朝米での暗中模索なのでしょうが。
統合に向かい始めている宇宙の流れの中で分離という壁ですか。
摂理の流れに逆光する妙な違和感と、バランスの不具合を感じます。
見えざる意図が動き出しているのでしょうか。
何かとんでもない方向に転がって行かなければいいのですが。
こうした世界の動向を静観してみると
まだ同じ歴史の繰り返しの循環に絡められていくのか・・・
あるいは、意識転換による高い次元への移行を目指すのか・・・・・
ちょうどそんな分岐点にでもいるのかと思われてきて、
これこそが2013年を迎えた私たちに課せられた大きな命題であり
大いなるサニワが迫っている兆候にも感じられてしまいます。
ヴェーダでいうなら、マーヤ(幻想)かサティア(真理)の見分けのときでしょうか。
死んで持っていくことができない物質や地位や名誉や欲で世界を満たし、
さらに、もっともっとと人類は欲し続けるのでしょうか。
どこまで満たされれば満足できるのでしょう。
これでは地球の行く末がだいたい垣間見れてしまいます。
執着や我欲は、いくら求めても求めても、永遠に満たされることはないという
宇宙の大摂理があるということに、氣づいていかなければなりません。
仏陀も云うでしょう。これもまた過ぎ去る・・・
ヴェーダの叡智は教えてくれます。
天からの恵みというのは、私たちすべてに等しく降りてきているのだと。
100%を絶対数だとしたなら、全員にそれぞれ100%きているといいます。
ある人はそのうちの90%くらい受け取れる人がいます。
また、ある人は逆に5%しか受け取れていないかもしれない。
何が違うのでしょう。全員に100%きているのに。
宇宙は、100人いたら100人が十分余るほどに豊かさを用意しています。
みんなが満足できるように受け取れない時代を不景氣というのでしょうか。
この時代や社会が私たちの本当に望むものを与えてくれるのでしょうか。
幸運というものは、社会や企業が与えてくれるものではないのです。
天が与えてくれるものなのです。
だけど私たちは「会社が悪い、社会が悪い、政治が悪い」と言います。
いいえ、幸せは人が与えてくれるものではありません。
天が与えてくれるものですから。
それでは、なぜ受け取れない人が巷に溢れてるのでしょうか。
それは、その人の中に「空き」がないからなのだとヴェーダは云います。
空いてる分だけ受け取れるというのが、宇宙の摂理なのだと。
すでに何かでいっぱいのところに新たなものを入れることはできません。
私たちの中が、心配や後悔や嘆きというノイズですでにいっぱいの場合、
もう何も入れません。私たちのノイズが内側を90%占めていたならば、
10%しか受け取れないということです。
ノイズが少なくなり60%ぐらいになったら、40%受け取れます。
もっと減って10%ぐらいになれば90%受け取れるわけです。
幸運というのは、あなたに「空き」がある、その空きめがけて流れ込んでくるのです。
ただ、そういうシンプルな宇宙の摂理が働いているだけなのです。
秋は収穫の時、内なる「秋=空き」は、受け取れるスペースのことです。
だから、ごちゃごちゃ考えてしまう人ほど受け取れないのだと
ヴェーダは教えてくれます。
でも、ついつい、あ~だこ~だと頭で考えてしまうんだよね~
そんな心配や不安を、いっぱいかかえている人が陥るパターンに
早く氣づかないとなりません。リズムが悪かったのだということに。
スペース不足の人の陥る代表的なフレーズがあります。
「ポジティブに生きよう、ポジティブだ、ポジティブ、ポジティブ・・・・」
「愛、愛、愛、大切なのは愛だよ、愛、愛愛愛愛愛・・・・・」
何でもかんでも「ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・」
感謝波動で満たせばいいからって、いったい何に感謝してるのでしょう。
これって、実は、
やだやだやだとダダこねてる時と同じリズムなんですね。
「あ~やだ、やだ、やだ、やだ、やだやだやだやだ・・・・・・」も
「愛、愛、愛、愛、愛愛愛愛・・・・・」も同じミュージックなんですね。
これでは、隙(スペース)がありません。
天の恵みが入る隙間がありません。
そうなんです。リズムを変えないといけないのです。
歌詞を変えるのではなく、自分のリズムを先に変える必要があったのです。
あえて自分の中にある、考え事のスピードを落とす。
ネガティブなことを考えてたっていいから、速度を落とせばいいのです。
「し~~~ま~~っ~~た」って云う風にする。「しまった!」じゃなく。
こうするとまるで別の音楽になっていることに氣づかれると思います。
音と音に間に、たっぷりの間ができたからです。
この世が、陰と陽でできているのならば、
陽が「音」だとすると、音と音の「間」こそ陰。
二つ揃って陰陽のバランスなのです。
詰まっていては受け取れない、という摂理がよくわかります。
そういう観点で想像してみてください。
「ああ景氣が悪い、景氣が悪い、景氣が悪い、悪い悪い悪い悪い・・・・・」
「さあ景氣回復だ、景氣回復、景氣回復、回復回復回復回復・・・・・」。
どうでしょう。どっちも同じ音楽です。景氣が良くなると思いますか?
この意識転換がいま必要なのだといっているのです。
カリ・ユガ期というのは、そういう流れですから。
宇宙は何でできているでしょうか・・・・・、
この森羅万象、私たちの肉体からこころ、そして私たちの体験する現実、
さらに木や花や土や山や風、なんでもいいですが、
水や火も、すべてが何でできているかというと「波動」でできているわけです。
科学者が使う言葉で定義するならば波動でできているのです。
波動の女神サラスワティ
この波動現象というのはとてもユニークで、
波動が下がると硬く重くり、波動が上がると柔らかく軽くなり、
やがて物質ではなくなっていきます。物質領域を超えます。
波動が上がって物質領域を超えて、物質ではない存在領域に入った時は、
質感が消えてゆきます。こころと身体の両方が消えます。
波動が高くなっていくと人は身体の領域、物質の領域を超えていきます。
そして不思議なことに、本来カタチのない「こころ」というものも
私たちが物質領域を重要視し続けて生きているために、
融通無碍であるはずの「こころ」も物質性を帯びてきてしまうのです。
そういった物質領域を超えていった先にあるものが、
仏教では“彼岸”と言います。あるいは“彼方なるもの”と。
物という形象ではない、本来の自由な自分の波動領域。
これを「彼方」と言うのか、あるいは「霊」と言うのか・・・。
どちらでもいいのですが、ヴェーダではこれを「本来の棲家」と呼びます。
人が本来住んでいたところ、本来の棲家。
本来の我々の在りどころ。それを彼方といいます。
さらにヴァイブレーション(波動)というのは、
外に伝わっていった後、必ず戻ってくるという性質もあります。
源から出て、そして拡大し源へ返る。これも「波動の原理」です。
よく鏡の法則などという言葉を聞かれると思いますが、
それもまさにこの波動の原理なのです。
したことは、されること。人を呪わば穴二つ、しかり。
私たちはまず、どんな思いを発しているのか、
そして、どんなリズム=音楽でそれを発しているのかを
再確認してみる岐路に立っているのだと氣付かねばならないのです。
またそのうち、つづく・・・
AUM
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