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真我(アートマ)の覚醒をされたシュリ・プンジャ。
彼とのサットサンガの中で素晴らしいコトタマが輝きを放ちます。

中でも、プンジャの教義の核心とも言える「THE TRUTH IS」は
和訳が「真理のみ」とされて崎山綾子さん翻訳で綴られています。

その序章をご紹介します。
すでにここからして真理のすべてが語られています。

実に詩的で、美しいコトタマが煌めき、
ヴェーダなどの聖典の神秘的かつ教義的な言い回しではなく
人肌のぬくもりあふれる表現で、読み物としても素晴らしいと感じます。



【シュリ H.W.L.プンジャ】1910年、現在のパキスタン、パンジャブ地方に生まれる。8才の時、真理の直接体験をし1944年に彼のサットグルであるシュリ・ラマナ・マハルシに出会う。その後しばらくして彼のマスターの現存の前で真我を実現する。所帯持ちとしてそのまま仕事に従事し、1966年に引退するまで大家族を養い続けた。ガンジス川ほとりでの生活や世界旅行の後で北インドのラクナウに定住する。彼を愛する人々から「パパジ」(ヒンドゥー語で父の尊称)と呼ばれ、インドはもとより世界中から訪れた真理の探究者に測り知れない愛と英知を分かち与えた。1997年9月6日帰天後も、彼の現存とダイナミックな伝達力で、数え切れない人々が自分の本性に目覚めていった。「真理のみ」は1990年~1996年にかけてラクナウでおこったサットサンガでのパパジと探求者との驚異的な対話を集録したもので、彼の教えのエッセンスが凝集されている。


以下赤色の文字がパパジ。
普通の文字は私の付け加えた感想です。m(_ _)m

~序章~
『愛と無の祝祭』

―あなたは愛、あなたは無の踊り手

すべてが始まる以前、あなたは「純粋の意識」そのものとして存在していた。
愛の中で完全に満ち足りた愛そのもの、  
氣づきを伴った空間そのもの、
安らぎ以上の平安そのものであった。

あなたの本質は映像が映し出される映画のスクリーンと同じもの。

あなたは英知の輝き、宇宙の創造者に「創造するという概念」を与えた人だ。
忘れることができることは全て忘れて、
決して忘れることができないそのものとしてのあなた自身を知りなさい。

あなたはその上で全ての物事が起こる基盤だ、ただ起こらせなさい。
あなたは今、この瞬間そのもの、
この今から逃れられる私が存在するだろうか?
あなたが真理そのものであり、唯一存在するのは真理だけだ。

ビッグバン以前のナーラーヤナであった
私たちの意識を描写されています。
もともと私たちは平安であったのです。
思考が現実化する。私たちの三次元の物質界は
想念が生み出したマーヤ(幻想)であることを語ります。
私そのものが宇宙の創造者の創造のきっかけであったのです。
私たちの目の前に起こることが、創造者たる私が起こしたこと。
すべてを受け入れるということの真意を説いています。

あなたの本質は無活動。
太陽が無活動であるように本質は不動だ。
活動は思考の投影から起こるもの。
あなたのドラマ、あなたの世界。

あなたは貴重なこの瞬間、現存そのもの。

あなたに触れたそよ風は悪魔でさえ神聖にする力を授けられる。 
あなたは対象やアイデアに氣づいている自分に氣づいているそのものだ。
あなたは氣づきよりも、もっともっと静かなそのものだ。 
あなたは命、そこから命という概念が生み出される。
あなたの本質は静寂そのもので、それを手に入れることはできない。
それは常に存在しているのだから。

自作自演のステージがいまここなのです。
このドラマの脇役となるか主人公となるかは各人の自由選択。
必要なのは、振り回される側なのか、演じる側なのかを知ることです。
こころが静かに不動であれば、感情や想念もむやみに動かず
静寂なる本質の存在を感受できるのです。

あなたはまず空間という概念を作り出した。
そして存在・意識・至福という姿をとった。
「世界」というのはあなたのマインド(思考の集合体)が生み出したもの、
全てはあなたのハート(源泉、センター)から、
核心から、無から、起こって来る。


今、ここに存在するのがあなたのハート。  
このハートの祠の中であなたは愛として留まっている。
そこから時間と空間が生み出される。

あなたは内側、外側という概念を持たない内側にいる。

マインドがどこにも存在しないところが内側、壁が存在しないところが内側。
全てのアトムにあなたは存在している。
このことを知った時、あなたは至福に満たされる。

自己を認識するために空間が創られ、空間が時間を生む。
時空が存在するのは、私というものを全方向から知るためだったのです。
その観照者のいる場所がハートです。というよりすべてがハートが出処。
もともとの出発点だったのです。だから、頭で考えてもダメなんだす。
ハートは感じることしかできないから。「考えるな、感じるんだ」です。
真我の住まいどころ、いえいえハートそのものが真我なのです。

あなたは無そのもの、究極の実体、
無から無と言う概念を取り除いて無だけを残しなさい
無を超えるものは何もないのだから。
全ては無から現れ、無の中で踊り、無に帰っていく。
波が海から起こり海の上で踊り海に帰っていくように
あなたはこの無の踊り手だ。
この無から外れて存在するものは何もない故に
無は全てを含んで満ち満ちている。
存在と無存在の間に無は存在する。
自由であるためには、この安らぎに満ちた無が 
あなたの基盤であるという確信が必要だ。

無とおっしゃっていますが、これこそ「空」。
アカーシャについて話しています。
仏陀の色即是空。空即是色。
還る故郷であり始まりの出発点ナーラーヤナです。
アルファでありオメガである。

あなたの中ですべての出来事が起こる。
起るべきことは起こるのだから安らぎに満ちて影響されずにいなさい。
平和に満ちていなさい、そうするとこの平和が外に広がっていく。
平和から生まれるものは平和、混乱から生まれるものは混乱。
だから平和でいなさい、この平和を宇宙に奉げなさい。
これが唯一あなたがすべきことだ。
「私は平和だ」と考えることでさえこの平和を乱してしまう。
だからただ静かにしていなさい、あなたの「在るがまま」でいなさい。
あなたは「在る」ことであり、「在り続けた」でもなければ、
「在り続けるだろう」でもない。

この物質世界は二元性。一なるものが分離した世界。
だからこそ、私とあなたが確認できるのです。
触れ合うことも、離れていることもできます。
忌み嫌い憎しみ合うのも自由。愛することだってできます。
分離されたものを統合するのだという言われ方もしますが、
この二元性により生ずるすべてのことは体験したくて創造したこと。
体験し尽くしてその思いの出所がわかったとき初めて統合されるのです。
すべては自作自演なのですから受け止めなければなりません。
悲しみや苦悩で受け止めても大丈夫なのです。
目覚めれば歓びで受け止めることができるようになるだけなのです。
体験する、受け止めることに違いはありません。
悲しんでいいんだよ、苦しんでもいいだよ。
宇宙からそう言われているのだったら
くつろいで安心できませんか。

あなたは死に侵されない永遠性、
そこには時間が存在しないので死も存在しない。
そのまさに永遠性というのは今、この瞬間のことだ。
それが「在る」ということだ。


単に「在る」ということはいつも輝いた存在だ。
私自身、これが存在の光だ。
このダイヤモンドの光は隠しおおせるものではない。
マインドが存在しない時、
あなたの顔は美と無垢で光り輝く。
ただ静かにして、あなたのあるがままでいなさい。

遍照金剛。すべての人のうちに金剛(ダイヤ)として輝くもの。
これがあまねく照らすアマテラスの光。アートマです。

あなたは空間、決して移動進行することの無い空間。
内側の空間、外側の空間という区別は名前と形のために生じる。
いかなる対象物、考え、行動に対する執着を取り除くことによって
この名前、形という概念を取り除きなさい。


あなたの想念が「私のもの」と決めるから
そうならないことに苦しみが生まれます。
もともとそれは、ただ在るだけなのに、マインドは意味をつけ
好きか嫌いか、善か悪か、光か闇かと、
何もない「空」にカタチを与えてしまいます。

あなたはすでに喜びの園にいるのだから、
幸せである為にあなた以外に誰も必要としない。
過去のことに思い巡らすと悲しくなると言うのなら
この「今」に帰ってきなさい。

この喜びのこの瞬間が過去の記憶や苦しみを消し去ることができる。
なぜならこの瞬間こそが幸福のありかなのだから。
だから苦しむ為に過去の記憶に戻ると言うのはまさに馬鹿げている。

条件付けのない意識が幸福と静けさをもたらす。
この静寂は時間や空間とは何の関係もない、「今」に存在する。
思考によって条件付けされた幸福はマインドの幸福だ。
最初の条件付けである「私」は幸福の妨げになる。
エゴの欲望と期待によって幸せな人は誰もいない。
だから幸福を望むなら、考えないこと、欲望を持たないこと。
ただ静かにしていなさい、考えることは暗い墓場にいることだ。
幸福であるためには一切何も保持しないことだ、
さもないとあなたのポケットから死んだ魚のような悪臭が漂うだろう。
親愛なる友よ、幸福は体験ではない、あなたの本質なのだから
そのために何もする必要はない。
幸福は私の本性だという真の知識が幸福をもたらすのだ。


現在というのは英語でPresent(プレゼント)と言います。
いまここがプレゼント=恩恵の受け取り処になるわけです。
過去にはありません。過去はマインドが作り上げた幻想の墓場、
エゴの住むところだから異臭を放っています。
さぁ、いまここに戻って新鮮な空氣をお吸いなさいと。

ここ、ここに美酒があるのに誰も知らない。
全てがここにある、これが意識だ。
意識がこの宇宙の全ての基盤だ。
「それ」、即ちあなたは全ての分子、アトムに存在する、
時間や空間でさえ「それ」がその存在を与えるのだ。
あなたが肉体やマインドの服を着ていると誰が氣づいているのか、
誕生や死の繰り返しがこの同じ意識の中で
起こっていると誰が意識しているのか?

あなたが「それ」だ。
すべての活動や無活動、多様性や一体性、
これらはすべて意識の中に存在する。

束縛はこのことを否定することであり、
自由はそれを知っていることだ。

あなたはそれだ、あなたはその意識だ。

意識、感覚では捉えることができない。
頭では理解することができない。
意識だけがいたるところに存在する。 
それがあなたの内に「私」として湧き上がって来る。
それは太陽の輝き、地球の自転だ。
それは空間と時間を超えたもの。
逆に時間と空間は意識から生まれて来るのだ。
マインドで真理を探そうと努力するなら
それを見逃してしまうだろう。
これらのマインドの試みが動きとなり、雲となり、
その不動性を隠してしまうからだ。

思考が止まった時に、それはそれ自身の姿を現す。

マインドがこの世の苦悩やを生み出したエゴの素なのだから
マインドがエゴを超えることはできないという。
エゴを超えられるのが、「愛」なのです。
「愛」とは神、光、意識と同義語です。
マインドは頭(脳みそ)から
愛はハートから生じます。

自己を認識するため
一瞬だけで良い、思考の動きを止めなさい。

一秒だけで良い、全ての欲望、全ての思考を止めなさい。
一瞬だけで良い、「私が」という考えを捨てなさい。

そうすればあなたは誕生と死という輪廻から永久に越えられる。

この輪廻がサンサーラ(個人が解放されるまで繰り返される
生と死のサイクル)、
あなた自身の想像のたまもの。
誕生も始まりも死も存在しない。
真の知識によってのみこの輪廻を止めることができる。
「私は一体誰なのか?」
この自問がこの輪廻を止めることができる。
だから決心しなさい。
人間としてのこの生はすばらしい祝福だ、
決して無駄にしないことだ。

延期することはサンサーラ、苦しみの繰り返しだ。
あなたが困った時にはいつでも、
「私は夢を見ているのか?」と自問しなさい。

これは「私は誰か?」という質問と同じことで
夢から覚めることが出来る。

そして、あなたはあなたの真我と恋に落ちるだろう。
その時初めて「他人」を知ることになる。
この知識の光をあなたがどこにいようとも燈し続けなさい。

輪廻はクルクルクルクル回る糸車。
あなたの紡いでいる糸(意図)は何ですか。
その糸に氣づくことがマーヤを終わらせること。
サンサーラの終わりは真我の始まり。
終わらせる(破壊)ことが、再生の条件です。
破壊はシヴァ神、創造はブラフマン神。
私たちに内在するアートマとは別名ブラフマという。

静かにしていなさい、考えないでいなさい、努力しないこと。
束縛されるには努力が必要だが、
自由であるためには努力はいらない。

心の平安は思考と努力を超えたところにある。
思考と努力がそれを隠して、
決してそれを明らかにすることはできない。

このために静かにしていることが
愛と平和の宝庫を開ける鍵となる。

この静けさがノーマインド、この無思考が自由だ。

何もないこと、この静けさにあなた自身を一体化させなさい。

しかし注意しなければならないことは、それを経験にしないことだ。
経験は「観察者と観察されるもの」という
二元性を持つマインドの罠で
それから遠ざけてしまうからだ。
「ただ在ること」は「ただ在ること」だ。
観察者や観察されるものは存在しない。

「私は自由だ」という経験は、
「私は束縛されている」という経験と全く同じマインドの罠だ。

対象を手放したあとは主体も手放しなさい。
全てを手放して、静かにしていなさい。

こりゃ奥義ですね。
経験したくてこの世界を創造したのに「経験しないこと」。
物語の主人公を選択したのに「主体を手放しなさい」。
すべて手放し、ジタバタしない。

人生の目的は平和でいること、
全ての生き物を愛すること、自分が誰かを知ること。
あなたの本性を知れば全てを知ることになる。
この潔癖な知識のみ、無のみが存在する。
限界のない無からどのようにして抜け出すのか。
名前、形の様相はこの無の戯れだ。
今、ここで、ただ静かにして、
あなたは一体誰なのかを知りなさい。


ヴェジタリアンであることも大切ですね。
宗教や偽善ではなく、すべてを愛したいから。

あなたはこの瞬間に存在する、「これ」に自己紹介しなさい。
マインドをいろいろな方面に向けないことだ。
修行なし、過去なし、未来なし、
あなたのハートの中の無も、空間でさえ存在しない。
永遠に自由であるために、
この一瞬に向かって自己紹介しなさい。


この瞬間はいつもこの瞬間だ。それは不変だ。
マインドと概念から自由になることが本当の自由だ。

自由はあなたの基本的に持って生まれた権利だ。
この瞬間を最も有効に使うにはその中に溺れてしまうことだ。
静かにしていなさい、あなたは内側の内側にいる、
どこにも定着しないで、努力するのをやめなさい。
努力と修行の概念は束縛になる。
ただ静かにしていなさい、
どこにいようとも、ただ静かにしていなさい。

名前と形というものが事の本質を隠してしまう。
これが教訓だ。
名前と形に囚われることは、自由への障害になる。
あなたの基盤である意識がそれに覆われて見ることができないからだ。
馬の彫像といえば目は素材のグラナイトを見ることができない。
指輪を見なさい、それを作っている素材のゴールドは見ることはできない。
ゴールド無しに指輪が成り立たないように  
名前と形は意識を離れて存在することはない。

悪魔という名を付ければ、本当は慈悲深い人であっても
その人の行為やエネルギーはすべて邪悪なものと信じてしまう。
天使という名を付ければ、本心は冷酷であったとしても
してくれた行いやエネルギーは善なるものと信じてしまう。
名というカタチを脱がせることがヒーリングです。

波が起こる以前は静かな海であった、欲望が起る前は無であった。
切望や束縛を壊しなさい。
経験者ではなく経験している、見る人ではなく
見ているに同一化することによって
それらを破壊しなさい。
あなたは意識そのものであつて、意識がある「人」ではないのだから。
自由であるためには自由のように振舞いなさい。
自由とは欲望がないことだ。
すべては無欲の状態の中で知ることができる。
何も所有したくないのならポケットはいらない。
過去は過去なのだから記憶というポケットに入れて持ち歩かないことだ。
自分は生きていると知っていながら
どうして過去という墓場に入ろうとするのか。

一時的なものには執着しないで、あなたの絶対的な真我に執着しなさい。

あなたが執着した全てのもの、あなたが愛した全てのもの、
あなたが知っている全てのものは、いつか消え去ってしまう。
このことを知った上で、世界は自分のマインドが創り出し
その中で演じて、苦しんでいるだけなのだと分別しなさい。
真理か、そうでないか識別しなさい。
既知は真理ではないので来ては去っていく、
未知は変わらない真理だ、それと一緒にいなさい。
現れては消え去る全てのものは実在しないのと同じだ。
それらから蜜の甘さは味わえないのだから、執着するのはやめなさい。
そして、いったん手放したら、もう二度と取り戻そうとしないことだ。
永遠にあなた自身の存在の中に留まりなさい。

真理は不動だ。行ったり来たりはない。
エゴの混乱、動揺が全宇宙の混乱を創り出す。
しかし、真理は不動だ。
このエゴがどこから、どのようにして
生まれて来るのか注意深く見てごらん。

「私」というのは単なる親から社会からの条件付けの集まりだ。
習癖の集まりにすぎない。

個人というのは本当の私がエゴという着物を着ているようなものだ。

個人というエゴを捨てなさい。
エゴはそれが問題だという、
神はそれは問題ではないと言う。
全てが至高の力に支配されているのだから
エゴの決定力は幻想にすぎない。
全能に直面しなさい。

降伏するとはあなたのエゴを、個別性という概念を明け渡すことだ。
降伏するとはあなたの馬鹿さ加減、邪悪さを
存在の意志に明け渡すことだ。
それだけのことだ。
川が海に流れ込むように降伏しなければならない。
降伏とは「あなた」という川の分離感が
海の中に流れ込んで、川であるという限界が無くなってしまうことだ。
そして、起こることは起こるがままにすることだ。

空間に降伏しなさい。
真の知識でエゴを溶かしなさい。
自問という乗物に乗って愛と崇拝と一緒に
あなたの真我に、静かに内側に入っていきなさい。
この自問はすべての努力を捨てるということだ 
静かに、静かに入っていきなさい、
小さな思いつきでさえ大きな雑音となる。


静かにしていなさい。

静かにしていなければならないのはエゴであって、
あなたはそのエゴではないと知りなさい。

この沈黙は話をする、しないとは全く関係が無い、
マインドの中に一つの思考も湧き上がらない状態を沈黙と言うのだ。
静かにしていなさい。
考えるのを止めなさい。
努力するのを止めなさい。

この何も無いこと、この静けさにあなた自身を一体化させなさい。
そこには「獲得」するものは何も無い。
源泉の本性は耕して栽培してその実を得るというものではない。
あなたは意識で農夫ではないからだ。
既にそのものなのだから
どうしてそのものになろうと努力する必要があるだろう。
社会から押しつけられた束縛から逃れようと努力することは、
押しつけられた自由を獲得するのと同じことだ。

あなたはものや考えに氣づいていることに氣づいている「それ」だ。
気づきとは、「対象に氣づいている自分に氣づいている」ことだ。
あなたは「それ」、静けさそのもの。

覚醒への近道はマインドの純潔さに頼っている。
このショートカットはあなたの欲望を切るということだ。
欲望の対象物が幸福をもたらすのではない。
これは逆に束縛を与える。
獲得したあとの無欲状態が幸福をもたらすのだ。
無欲が幸福をもたらすのだ。
欲望だけがあなたの平和と休息への道を妨げている。
この欲望というのがマインドの病癖だ。
欲望なしに生き、幸福でいなさい。

幸福はあなたの本質だからその為に何もする必要はない。
自分を知る、自分の本質を知るということが幸福をもたらす唯一の道だ。
「ここ」、ここに美酒があるのに誰も知らない。

世界の出来事、自由、マインド、全ては存在しない。
これが究極の真理だ。
究極の真理は全て無であり、いつも無であったということだ。

ノーマインドとは外側の世界とは関係がない。
ノーマインドが無に行きつく唯一の道で、他に道はない。
本質が明らかになるのはあなたがノーマインドの時だ。
だから静かにして、何も考えないこと、努力をしないこと。
何も考えないでおこうと努力しないこと。

Oshoの「ノーシングネス」も同じコトタマですね。
考えるな、とはマインドの放棄、空へのサレンダー。
答えを求めることもマインドです。
正しくあろう、とか、良く思われたいとか、
絶対に悟りたいというのも、ぜんぶマインド。
努力せず考えないこと・・・・
真我への道はここしかないようです。

自分の本性を知るには
強靱な肉体とマインドと意志が必要だ。
あなたはやり遂げねばならない。
単にメニューを読んでいるだけでは空腹を満たすことはできない。
食物を食べなさい。
愚かなマインドを征服しなさい。
理解するということではない、「在る」ということだ。
自由でありたいと決めるのはマインドではない。
なぜなら自由を達成した時、マインドは存在できなくなるのだから。
マインドをコントロールしなさい。必要な時は召使いのように使いなさい。
ここ、この瞬間に自由である為にはマインドは必要ない。

私が本当に教えたいことは、
「教えることができないそのものについて」教えたいのだ。
私の教えは教えることができないということだ。
全ての教えが湧きあがって来るその源泉、
その本質について私は教えることができない。
この本質というのは全てを超越しているので
教えるとか教えないとかの問題ではない。
その本質とは全ての言葉が生まれて来るその源泉のことだ。

バグワン(マハルシ)ならこう言うに違いない。
真理はここにある、あなたは一体何が欲しいのか?
決断はあなたにかかっていると・・・。   

この先の詳細は…
「ラマナ・マハルシの臨在」サイトより

覚者パパジの教えは、ラマナ・マハルシの光明より発せられます。
ラマナ・マハリシにも偉大なるグルがいました。
「アルナーチャラ」またの名をシヴァ神といいます。





AUM Nama Shivaya


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般若心経の核心は、色即是空、空即是色ですが、
照見五蘊皆空、そして是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減という
コトタマもこの世の仕組みを知る上でとても大切な真意です。

五蘊皆空とは、空から生ずるあらゆるものは五元素で出来ているといい、
その空の様相としては、生ずることもなければ滅することもなく、
汚れるとか清らかということもないし、減ることも増えることもないと
仏陀は語り聞かせているということになっています。

この五つの元素とは、
ヴェーダではパンチャブータといいます。
プリティヴィ〔地〕、ジャラ〔水〕、アグニ〔火〕
ヴァーユ〔風〕、アーカーシャ〔空〕の五つです。
なかでも「空」を元素ととしてとらえることこそ
ゼロ(シュニヤータ)を発見したヴェーダ叡智の基幹です。
私たちの肉体も、物質界のあらゆるもの森羅万象は
五元素でできているといいます。

バカヴァッド・ギーターでは、
神は不生不滅であるが名と姿を持ち、
自然の五元素を利用して生じるといいます。

神が空元素(アカーシャ)を基盤として用いるとき
遍在者「ヴィシュヌ」となり


神が風元素(ヴァーユ)を基盤として用いるとき
太陽神「スーリヤ」の光輝となり


神が火元素(アグニ)を基盤として用いるとき
母であり永遠の女性である「マヘーシュワリ」(ドゥルガー)となり


神が水元素(ジャラ)を基盤として用いるとき
災害と転落から救う「ヴィナーヤカ」(ガネーシャ)となり


神が地元素(プリティヴィー)を基盤とすれば
身体に塗った神聖灰で輝く者、常に慈悲深い「シヴァ」となる。

といわれ、神すら五元素の顕れなのだといいます。

神と人は同じ五元素でできているのだから、
私たちの価値はとても神聖で重要であると考えられています。

ただ人間の身体を持っているだけでは十分ではなく、
サティヤ(真理)、ダルマ(正義)、シャーンティ(平安)、
プレーマ(愛)、アヒムサー(非暴力)という五大価値も養うべきであると
サティア・サイババはおっしゃいました。

元素と大価値、そして感も、
耳、皮膚、目、舌、鼻のつの知覚器官も
すべてが蘊皆空と通ずるのだと思います。

早くからヴェーダに思い入れのあった空海は
この五元素を取り入れることこそが森羅万象の生成であり
人の願いを実現することであることを見極め、
あの有名な建物で後世の我々にメッセージを残されました。

そう、五重の塔です。
 

また、高野山で多く見かける五輪の塔もそうです。


宮本武蔵の「五輪の書」も、まさに五元素のことが書かれています。




「生きとし生けるものの中の永遠のアートマ(真我)は、
“私の存在”の一部である。アルジュナよ、すべての中で輝きを
放っているものこそが、私の神なる光輝なのだ」。
クリシュナ神は、バガヴァッドギーターで語ります。


神は、すべての人間のハートに内在します。
特定の姿を持つち、特別な場所にいるのではなく、
我々のハートに内在し、すべてのものに浸透しています。
神は、すべに浸透し、すべての元素の中に光り輝いています。

自己の光り輝く神聖な原理をアートマ(真我)と呼びます。
クリシュナは、このアートマが神自身の様相の一部分であることを
宣言しました。私たちが見たと思いこむ、どのような欠落も
単なる想像の産物に過ぎません。

「神は美徳の化身です。それゆえ、
人間もまた、美徳の人生を送らなければなりません。
邪悪な傾向は、霊性の道における障害です。
まず第一に、人間はすべての邪悪な行為から自らを遠ざけ、
善い行為をしなければなりません。
そのときに初めて、彼は、自らを人間と呼ぶ権利をもちます。
人生は、極めて神聖なものなのです。」―サティア・サイババ

人間は、すべての属性を凌駕する「真我」の原理を忘れてしまったため、
自分自身を弱きものと考えます。その邪悪な資質、不徳な行い、不品行が、
自身を憐れむべき状況に引きずりこんでいます。

ババはおっしゃいます。
神が常に内在しているというのに、人はなぜ苦しむのか。
困難に直面し惨めな人生を送っていると語るのは、愚かなことなのだ。
内在者なる神には、悲しみも心配も何一つとしてありません。
神は至高の至福の化身です。あなたのハートの祭壇に
神が安置されているというのに、惨めさに悩まされていると考えることは
愚かさの印ではないで しょうか?

神はこう語ります。
「私はあなたの中にいます。あなたは私の神性の火花に過ぎないのです。」
そうならば、人が困難や悲しみに影響される必要などあるので しょうか?
邪悪な資質を捨て去らない限り、あなたは永遠なるアートマの真理を
体験することができません。

ハートが騒いでいなければ、口はつぐみ、耳は休まります。
だからこそ、古代、いや現代でさえ、霊性のサーダカ(求道者)は
こういった人里離れた場所に来てタパス(苦行)をしたのです。
しかし、あなたの中で騒々しい嵐が猛威をふるっているならば、
静寂を求めても役に立ちません。あなたは自分の体がある場所ではなく、
自分の心(マインド)がある場所にいるからです。

ハートがおしゃべりでなければ
シャンティが訪れるということなのです。

神は人間に素晴らしいプレゼントをしてくださいました。
それは自由な「こころ」です。
しかし、その「こころ」は、あまりにも自由であるがために
しょっちゅうアッチへ行ったりコッチへ来たりと
過去を未来を右往左往、コロコロ、コロコロ定まりません。

「いまここ」というディアン(禅定)の立ち位置にいないと
神の恩寵は受け取れなくなります。
シャンティこそ、ディアンの境地です。

こころがコロコロしている状態をマインドといい
過去に執着しっぱなしになっているとエゴといいます。

すべてをマインドやエゴから解放し
シャンティという波動にシンクロさせるために
私たちはリーディングやシャクティ・ヒーリングという
ヴェーダ一端の技法を使わせていただいています。


五元素を集めるマントラこそ、ガーヤトリーです。
五つの頭を持つ女神として描かれるのはそういうメッセージ。
森羅万象を生み出す母なるエネルギーの象徴です。

AUM


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サッチーダナンダというサンスクリット語。
これは、ヴェーダの真髄、根本ともいえるコトノハです。

サット・チット・アーナンダを続けて読むと
“サッチーダナンダ”となります。

サットとは「真理」、
チットとは「知識あるいは意識」、
アーナンダとは「至福」の境地。

ヴェーダは、この三つ巴が、究極の奥義、
神の特質であると伝えています。

しかしこの特質は、森羅万象の本来の性質そのものですので、
すべての存在に内在されている特質でもあるわけです。

私たちがサットという真理の道を歩み、
サットに基づいた行動を通 じ、霊的な知識や科学的なチット
獲得しようと努めるとき、おのずとアーナンダが訪れます。

真理も知識も至福も、生まれついたときから私たちに備わっていて、
潜在的に私たちに備わっているのです。



サティア・サイババはおっしゃいました。

『私たち自身が、サット・チット・アーナンダという
三つの特性の化身なのです。
あなたが思うあなたは「サット」(真理)です。
他の人が思うあなたは「チット」(意識)です。
本当の あなたは「アーナンダ」(至福)です。
これらの三つの特性は、人間の特権です。
それは人間に生まれながらにして備わっている権利です。
それらは人間の本性です。
実にそれらは、人間の本質的な特性なのです。』

あなたを方を死の連続から解放するための唯一の手段は、
「彼を知ること」です。あなたを罪深い者と思ってはなりません。
何故ならば、あなた方は永遠のアーナンダ(至福)の継承者なのですから。
あなた方は、神の生き写しです。
あなた方は、生まれながらにして神聖で完全なのです。
あなたを罪人と呼ぶ以上に大きな罪があるでしょうか?
あなたが罪人という名に生まれていると自認するならば、
あなたは自分自身を辱め、名誉を傷つけています!
あなたが肉体だという想いを放棄しなさい。
そのような考えを信じ込んではなりません。
あなたはアートマ(内在する神)なのです。
あなたは、始めも終わりも知らない不滅のアムリタ(甘露)の滴です。
すべての有形のものは、あなたをあくせくと働かせる奴隷にしますが、
あなたはそれらのものに縛りつけられた奴隷ではないのです。



サティア・サイババの前世であり
シヴァ神の化身、ダッタートレイヤーの生まれ変わり、
すべての存在に偏在する愛そのものである
シルディ・サイババも、サッチーダナンダと讃えられます。





サマスタ ローカー
スキノー バヴァントゥー

すべての世界のすべてのものが幸せになりますように

と絶えず祈っていなさい。
皆さんが祈らなければならない祈りはこれだけです。
そうすれば、すべての国の、すべての人が幸せになり、
平安に満ちるようになるでしょう。
私はあなた方全員を愛しています。私には敵はいません。
私を憎む人は誰もいません。
時折、私は声を高めて厳しく話すことがあります。
しかし、それは表面だけのことです。
私は誰にも悪意を抱いてはいません。
ですから、もし、皆さんがスワミの掲げた理想に従い、
すべての人を愛するなら、皆さんの人生は聖化されるでしょう。
皆さんの両親、兄弟、姉妹、親戚、友人は幸せを感じるでしょう。

(サティア・サイババ)



サッチーダナンダこそが、私たち人生の旅の到達点であり
魂が求めていた究極の答えなのです。

AUM
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精神世界

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大地震が来るぞ、とか
富士山が噴火するぞ、とか。

世界中で未曾有の台風被害や洪水の惨劇が重なる中、
島が出現する噴火のニュースも交え、大地のゆらぎを感じます。
太陽活動の異変?や、磁極の反転予測もNASAが警告してたり
まるでノストラダムスの予言を再現するかのような
アイソン彗星の凄い尾を引く光景が取り上げられています。

地球どころか、宇宙の変化が顕著になってきたのでしょうか。

世界情勢もきな臭い腐敗臭を放ち始めています。

マーヤに目隠しされ、物質欲に浸り続けている相当鈍感な
洗脳民族の日本人ですら、何か異変を感じますよね。


カリ・ユガ期だから、宇宙やガイアに変調があるのは推察できます。

それはそれとして、この写真を見て
地球の悲痛な叫びを感じないかたがいらっしゃるでしょうか?


茶色く写るのが、砂漠化した大地です。

緑の地球が、茶色い地球になり始めているのです。
だいぶ前の写真ですから、現在はもっと進行しているでしょうが。
やがて火星のような惑星へと変わる道筋をたどっているのでしょうか。

生命の楽園ともいえるこのガイア。
あらゆる “いのち” が共存できる素晴らしい酸素と緑と水の惑星。
すべてが、大いなるものからのプレゼントで
豊かに暮らしていけるすべてのものが与えられています。

しかし霊長類ヒト科のエゴ星人は、次から次へと
土地を切り開き、山々を削り、木々をなぎ倒して
わがもの顔して、生態系を破壊し続けてきました。



ガイアが何万年もかけて温存してきた地下資源も、
ほぼ100年ほどで使い果たそうとしています。

凄いことです。

それでもまだまだ、開発開発と、大地を切り開き続け
中国なども大氣汚染に覆い被されてもまだ見て見ぬ振り。

いいのでしょうか、このままで。

台風や洪水、地震などの天変地異が
大地の自浄作用であるということが
だんだん否定できない世界になってきたような氣がします。




有名なドキュメンタリー写真の巨匠がいます。
セバスチャン・サルガドといいます。



モノクロの世界がかえって天然の色合いを無言の迫力で伝えます。
emoji
Wikipedia






彼の写真は見るものを圧倒する迫力と地球の鼓動を感じさせてくれますが
さらに凄いのが、故郷のブラジルの砂漠化した不毛の地を
自らの手で再生させてしまったことです。
詳細はTEDの動画をご覧ください。

TED セバスチャン・サルガド: 「写真が見せるサイレントドラマ」




言葉を失う、すごい写真ばかりです。

森を再生すること、それがなによりまず最初に
人類がやらねばならない大切なことのようです。

利権だ、境界だ、差別だ、右だ左だ言ってるのと同時進行で
どんどん森は侵食され、大地は砂漠化に向かっているのです。

みんなが手をつなぎ合って、笑顔で愛し合えるひとつの世界、
しかしその時、荒涼とした砂漠しかなくなっていたとしたらどうでしょう。


以前、幾度となく取り上げた映像。
過去記事【スーパームーンも時速70,000kmの一コマなのでした。】

太陽系すら宇宙を旅する一コマに過ぎないということを
認識させられるもの。
しかも、その軌道は螺旋状に移動しているのです。
だから、地球のすべての成長は螺旋エネルギーによって
突き上げられていくのでしょう。
この映像を見ていると螺旋エネルギーの実感が湧きます。

今回は、さらにそれをマクロな視点で見てみます。
銀河という大きな螺旋宇宙の中のほんの一点である太陽。
銀河の中心を回るその軌道が螺旋なのです。
螺旋状に動く太陽の周りを、置いていかれないように
螺旋状に健氣にくっついていく太陽系惑星たち。
その中に、ガイア、地球という私たちの惑星があります。



なんという壮大なドラマでしょう。
なんという正確さと緻密さでしょう。

人類がとやかくマインドで考えることなど
まったく無意味であると痛感されるほどの
壮大な宇宙の仕組みです。

この大いなる見えざる摂理こそ「神」、
まったく差別のない慈悲の力なのではないでしょうか。

これを愛といいます。
バランスよく、別け隔てなく一切を生かす優しさ。

そうして誕生したガイアという恵みの星を、
私たちエゴ星人は電氣照明の大地に変えてしまったのです。



宇宙ステーションから見た地球。
文明という明るさを享受した人類と地球。
しかし、この文明に照らされたガイアを美しいと思いますか?

様々な予言が警告する建て替えの時期。
まさにいま、それを私たちは見直す時がきています。

経済がどうの、宗教がどうの、防災がどうの、
好きの嫌いの、正しい悪い、この二元論的世界が
間もなく終焉の時を迎える・・・
ヴェーダ一万年以上前からいまの世界を「カリ・ユガ期」といいました。

11月23日、この日アヴァター(神の化身)が誕生しました。
サティア・サイババといいます。
いまは再び肉体を離れ、大いなる光となって
この宇宙の運行を見守っていらっしゃいます。



こころ揺らがずに、神につながり続けることを目覚めといい
自分の中のアートマ(真我)に氣づいたとき「悟り」が訪れます。

サイババとは、目を覚ましたあなたのことです。
あなたというのは眠っているサイババのことです。
悟った人とは目を覚ましたあなたで、
あなたというのは眠っているその聖者です。

かつて、インドプッタパルティでサイババにお会いしに行った時、
かの御仁がおっしゃった言葉です。





AUM
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Shirdi baba

ババと言ったら、シルディ・サイババ。
サティア・サイババの前世とも。

ババは私達のこころのうちに、住まわれています。
理由や理屈やマインドを通した視界には見えない
聖なる光の存在、アヴァター(神の化身)です。

9月27日がご降誕の日とされています。

共に、静かに祈りましょう。
感謝を込めて。

目を閉じれば浮かんできますね。

皆で、あの御足に触れ、すべての重荷を捧げたこと。
おそばに座って祈らせていただけたこと。
早朝にダッタトレーヤーの前で瞑想したこと。
夜に集って、アラティを大声で歌ったこと。

あの空氣、あの濃密なシャクティ波動の中、
体感は私達をいつでもババの身元に誘ってくれます。

しかし、ババはおっしゃいます。
ババを憶念する者には、たとえ7つの海を越えてでも
そばに行って寄り添うよ、と約束してくれます。




Aum Sai Namo Namah
Shri Sai Namo Namaha
JJ Sai Namo Namaha
Sad guru Sai Namo Namaha





Aum Shri Sainathaya Namaha





Aum Shirdi Wasaaya Vidamahe
Sachchidanandaya Dhimahi
Tanno Sai Prachodayat








感謝を込めて、ババに祈りとシャクティを捧げます。

AUM Sai Ram




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YOGA(ヨーガ)を実践している方は
パタンジャリの名はご存知だと思います。

07933201.jpeg






































ヨーガ・スートラは、YOGAへの入り口、ここが扉なのですから、
パタンジャリを通らずして、ヨーガを語ることはできないのではと思います。

名は広く知られているわけですがこの聖者、実在のかたなのか
あるいは偶像であるのか、ほんとうはよくわからないようです。
 

残されている像も、もはや神格化され下半身がヘビです。

ヘビとはエネルギーの源、クンダリーニを顕していて
クンダリーニの覚者であるということを象徴しているのでしょうか。
それとも、半蛇半人?のヨーギだったのでしょうか、想像もつきません。


ヴェーダの叡智の流れの中のひとつにYOGAがあります。
ヨーガというのは、ひとことで言ってしまえば、『つながる・つなぐ』ということです。

何とつなぐのでしょうか?

彼方なるもの、大いなる宇宙、あるいは神と言っていいと思います。

YOGAとは、神とつながるということを目的にした手法なのです。


神と言っても、外側に探しにいくのではなく
内なる神、すなわちフリダヤ、真我、アートマ、霊、魂・・・・・。
言い方、捉え方もたくさんありますが、内在する神性のことを指します。

私たちの内にもともとある神性を目覚めさすことなのです。
手法は違いますが、シャクティ・ヒーリングと同じですね。

現在の日本ではかなり勘違いされたカタチで捉えられているようですが、
ヨーガとは、健康ブームに乗っかったエクササイズのようなものではなく
本来、神意識へつなげることが到達点なのです。

ホットヨガ?それはスポーツ?何なのかはわかりませんが
すでに違うジャンルの体操的な創作なのでしょうか。

よく難しいポーズをいっぱいやって、身体を柔らかくしてと、
そんなイメージで受け止められがちなのですが
ポーズのことをサンスクリット語で『アーサナ』と呼びます。

アーサナの真意は、瞑想のための安定した坐法といわれます。

呼吸を整え、意識を身体につなげ頭(マインド)で考えることから
感じることへとシフトさせるテクニックがアーサナなのでしょう。

からだ・こころがつながれば、霊も揃って、三位一体になります。
ディアーナ、すなわち禅定になるのです。


パタンジャリの言葉から、ヨーガの本質を探ると
ヴェーダでなぜYOGAという道が開かれたのかが理解できます。




パタンジャリのヨーガ・スートラより

ヨーガの本来の意味は、結合であり、
例えば馬を車につなぐことである。
平安なる源にこころをつなぐことであり、
あるいは、神聖なるものにこころをつなぐことともいえる。

ヨーガの状態、即ち神聖なるものに心がつながると、
心(チッタ)の作用は止滅する。

そのとき観る者は、ただ「それ」本来の姿に安らいでいる。
心の作用とは、心が「それ」以外の対象に同化している状態である。

心の作用は五つあり、煩悩性のものと非煩悩性のものがある。
正知、誤解、想像上の理解、睡眠、記憶である。

直接的知覚、推理、及び聖典による証言が、正知である。
誤解は、対象の実体に基づいていないときに生じる。
実体がなく言葉の上だけの知識は、想像上の理解、錯覚である。
「何もない」という印象に同化し、タマス(鈍い重い質)を帯びた
心の作用が、睡眠である。
過去に経験した対象が心に印象を残したままになっているのが、記憶である。

修習、離欲は共に、これが止滅する助けとなる。
これにおいて、絶え間ない不断の努力が修習(アビヤーサ)である。
修習は、長期間継続して真剣に実習し続けると、堅固な基礎となる。

見たり聞いたりする対象に欲求をいだかず、
意識して心の平静を保つことが離欲(ヴァイラーギャ)である。

至高の状態はプルシャ(真我)の顕現であり、
そのとき、グナは渇きの無い状態になる。

グナとは、サットヴァ(浄性)、ラジャス(激性)、
タマス(鈍性)の3つの変化作用の質のこと。


イーシュワラ(自在神、至高意識)へ、
全てを委ねて献身することも、一つの道である。

欲求し、行為をなし、行為の結果がやってきて、
さらにその印象が次の行為の種子になるわけだが、
このようなものから永遠に解放されている至高のプルシャ(真我)が、
イーシュワラである。

そこはこの上ない無上の境地であり、全ての源、「全知」の種子だ。

太古のグルたちにとってもグルであり、時間の拘束を受けていない。

その存在をコトバに表わすと、それはオームという原初のうなりである。

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そのオームのジャパ(反復誦唱)は、
その目的地(イーシュワラ)への黙想となる。

これにより、内なる意識が自ら気づきをもたらし、
そして障害はなくなっていく。

~中略~

吐息および保息の両方に注目し、
プラーナを整えることも、心の平静さを保つ。

精妙な感覚的体験、霊妙な体験等に集中することも、
想念波動を安定した状態に保つ。

あるいは、至福に満ちた無上の「内なる光」に集中することによって。

あるいは、執着から解放されている聖者の心に集中することによって。

あるいは、夢や睡眠の中で得た体験知を想い出し集中することによって。

あるいは、惹きつけられ、かつ精神を高めるようなものに
瞑想することによって。

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根源的な微小原子から巨大な全宇宙に至るまでに、
これの習熟度は拡大していく。

外向きの心の作用が静まると、
心は水晶のような透明な映し鏡になり、
知る主体―知る過程―知られる対象は、
そこにあるものをそのまま映し出し(3つが等しいものになる)、
サマーディ(光明との結合)が起こる。

64e5867d.jpeg



























物質的な何かに集中して瞑想を行じるとき、
言葉とその対象物およびその知識が別々にやってくるときの
サマーディ(光明)は、サヴィタルカ・サマーディ(有尋三昧)である。

物質的な何かに集中して瞑想を行じるときで、
心に刻まれた過去の印象が浄化され心が『空』であると、
知られる対象だけがただ輝き現れる。
このサマーディ(光明)は、知る主体と知る過程を経ずに知がやってくる
ニルヴィタルカ・サマーディ(無尋三昧)である。

同様にして、精妙な感覚対象に集中して瞑想を行じるときに起こる
サマーディ(光明)は、サヴィチャーラ・サマーディ(有伺三昧)と
ニルヴィチャーラ・サマーディ(無伺三昧)である。

精妙な要素の性質を対象として行じる瞑想は、
やがて最も精妙で未分化な状態の根源力プラクリティにも到達する。

以上のものは、種子あるサマーディ(光明)である。

ニルヴィチャーラ・サマーディがさらに純粋になると、
至高の自己が永遠に輝き出す。

その状態においては、リタンバラー・プラジュニャー(絶対的真理の英知)が
直接やってくる。

この状態に達すると、口伝や推論、聖典から学んだ知識とは異なる、
それを超えた絶対的真理の英知が直接やってくる。

このサマーディ(光明との結合)状態において生じる印象は、
他の潜在する印象をすべて消し去る。

この微かな印象さえも止み、全てが止滅すると、
知る主体もなく知られる対象もない、完全に因果から解放された、
種子無きニルビージャ・サマーディ(無種子三昧)の状態となる。

パタンジャリ「ヨーガ・スートラ」第1章サマーディ・パーダ




YOGAとは、深い境地の瞑想方法であるわけです。

私たちのこころは、あっという間にあっち行ったりこっち来たり、
過去の悲しみや、未来の不安、一時たりとも
いまここの瞬間にこだわりもなくじっとしていられないのです。

コロコロするから、こころというのです。

その動きの源が「執着」、あるいは「エゴ」、「マインド」です。
捉われているすべてがマーヤという幻想であり、内なる曇り。

だから、ヨーガは、神につながれというのです。
そのために、こころをふらつかせないために、アーサナで
いまここに坐らせるのです。

三位一体のディーアン、禅定への道筋をつくるのです。

AUM


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X級の大型太陽フレアが続出で、
地球磁場は乱れに乱れていますが、
だからこそ、容易にこころがブレないように
ヴェーダの叡智をシェアしましょう。


マハトマ・ガンディー。インドの偉大なる父。

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バプー(おじさん)、とかガンジジーと呼ばれ
大衆に親しまれ溶け込んでいました。

生きる人間としての尊厳を大地から取り戻し
時には
となって人々の意識を喚起させ
流れる
のように穢れた氣運を洗浄し
を起こし停滞する閉塞感にムーブメントを呼び覚まさせました。

そんな偉大なガンディー自身の真の姿といえば
飾り氣もなくただ存在しそこにある
氣のような生き方を実践していました。

これは、まししくヴェーダの五大元素じゃないですか。
ガンディーとはヴェーダの実践者であり
ヴェーダ・マスターであったのだと感じます。

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偉大な政治家?としてみるにはこの達人は器が少々違うような氣がします。

それは、彼の残した言霊の数々にも満ちあふれています。
アヒンサー(非暴力)が彼の唱えた根本思想でありますが
これは
ヴェーダのアヒムサのことでなのです。

ヴェーダの叡智を、難しい理論やマントラという不可解なのもではなく
文盲の人にも、ごく普通の人々や子どもにもわかるように、
日々の暮らしの中の行為として表現することに成功した達人なのです。

よく宗教を超えてといわれますが
もともとインドにはヒンドゥー教とイスラム教という
分離されたものはなかったのです。

一なる神が多となったというヴェーダの叡智に根付く信仰が
ときにはクリシュナやラーマや仏陀という英雄を生みだし
遍在なるヴィシュヌのアヴァターとして讃えていたり
ガネーシャやシヴァやカーリー、そしてラクシュミ等々、
その中にあってアッラーは偉大なりという別の名で神を讃えていただけであって
すべてを認める信仰の場=バータラなのでした。
すべてが神への信仰というものから発せられていて
限りなく境界のない融合されたヴェーダの世界だったのです。


それをあるとき侵略した大英帝国(威流皆茶)という支配者が
政治統制するためにお得意の
弁証法という理論を適応させたのが
ヒンドゥー VS ムスリム という分離・分断戦略だったのです。

想像してください。
ある日突然、外国人がやってきて今日からここは我々が統治します。
さぁ、あなたはヒンドゥー信者ですか?イスラム信徒ですか?
ここに書いてサインをしてください。という感じでしょうか。
もともと、どっちがどっちという境界線がなかったのに。


これ、なにかにそっくりですよね。
そう、アフリカのアパルトヘイトです。

やはり大英帝国(威流皆茶)の侵略で
あなたは、白人ですか?カラードですか?アジア人ですか?黒人ですか?
紙に丸付けてサインしてください。です。

アパルトヘイトという言葉自体が分離・隔離という意味なのです。
人種隔離政策といいますが、要は人種差別です。

ルワンダの大量虐殺も同じカラクリですね。
昨日まで仲良しのお隣同志や友だちだった仲間が
ある日突然、あなたはツチ族ですか?フツ族ですか?
証明書をつくりますので申告してください。と。

その結果、ツチ族がフツ族を100日間で100万人殺戮するという
惨劇が勃発してしまったのです。100万人ですよ!
なんと1日1万人が殺されたわけです。
仲の良かった人が突然ナタを振り上げて愛する人を殺しにきたのです。

支配階級の威流皆茶は、自らの手を汚すことなく
アフリカの大衆心理を操りお互いに殺し合いをさせ
ある程度人口削減と分断整理が済んでから楽々と統治したのです。


当時のインドもまったく同じだったのですね。
いまだに、カシミール地方やパキスタンとインド国境は
争いが続いていますが、実はこの時の名残なのです。

一旦分離して、さあ どっちが正義か悪かという事件を
純粋な大衆の中にエサとして撒きます。スパイがそれを仕込みます。
いまでいうM☆6?C☆A?ですか。そういう連中が大衆の振りをして紛れ
事件を引き起こし、二つの宗教や勢力を戦わせるのです。

 

ガンディーは、この大英帝国という強大な枢軸の支配侵略から
インドを救出した救世主だったのです。

その最大の戦略が、なんと『闘わない』だったのです。
アヒンサーという強力な武器、非暴力がすべてを救うと信じていたのです。

イエスの「右のほほを打たれたら左のほほを・・・」です。

アパルトヘイト解放の父であるネルソンマンデラも、
たとえむごい仕打ちで肉親を殺されたとしても
「憎んではいけない!許しなさい!」というまさに
アヒンサーの政策を全面に掲げたことで、
目には目を、血で血を洗う殺戮の歴史に終止符を打ったのです。


インドはもともとヴェーダの浸透した国です。
ガンディーは小難しい理屈や思想めいた仰々しいものでは
威流皆茶のマトリックスにコントロールされ洗脳さている
大衆は動かないということを知っていました。

そこで彼がとった策はアヒンサー。
ただの非暴力ではありません。
意志のある非暴力です。断固従わない!絶対暴力で返さない!
そうしていれば、やがて我々は自由を得ることができるのだと
だれにでも実践できる抵抗法を皆に伝授したのです。

ひとつは『塩の行進』です。
塩がなければ人は生きていくことができません。
それはもともと天からの恵みです。母なる海の幸です。
支配層はその塩を専売したのです。
この辺の手口も、やはり戦後日本とそっくりですね。
私たちもガンディーを見習って一日も早く食塩地獄から
目覚めなければなりませんね。

いよいよイギリスと勝負だ!インドを独立させるのだという氣運の高まる中、
ガンディーがとった行動は、『塩の行進』でした。

当時、彼を支持するインドの国民も一瞬、「はぁ~?」と
目点  になったに違いありません。

しかしガンディーはガンとして受け付けません。
ただただ海岸まで自分の足で歩くのです。
まるでフォレストガンプのように?

「まってくれよ、ガンジジー。他にやることあるだろうが・・・」
そういう不満の声がネルーをはじめ独立運動の指導者からも聞こえます。

しかし、独立独立と声を大にして叫んでも、
植民地洗脳下にある大衆が目覚めるでしょうか?

ガンディーと約78人のサッティヤーグラハの支持者は
徒歩でグジャラート州のダンディー海岸の村に向けて出発したのです。

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サッティヤーグラハとはサンスクリットの言葉で、
アーグラハ(説得)とサッティヤ(真理)を統合したものです。
ガンディーにとって、サッティヤーグラハを推進することが
非暴力運動の強さの元になるということが重要でした。

ガンディーの言葉の中に、こんなものがあります。

『サッティヤ(Satya)は愛を意味し、断固としていること(アーグラハ)は
力を生み出すゆえに力と同じ意味合いで働く。つまり、真実と愛すなわち
非暴力から生まれた力である。もし私達がサッティヤーグラハの人々であり
サッティヤーグラハを申し出れば、私達自身が強くなることを信じることになるだろう。
私達は毎日だんだん強くなって生きている。力が強くなっていく中で、
私達のサッティヤーグラハもより効果的になるし、我々もサッティヤーグラハを
諦める機会を探し回るということも無くなるだろう。』


ガンディーにはわかっていたのだと思います。
塩はもともと天からの恵みであって誰でも手にすることができるのに
なんでイギリスにお金を払って買わなきゃならんのだぁ?
自分達で作ればええじゃないか!ええじゃないかと
大衆に氣付かせるのが目的だったのです。

そうだよな、やっぱ塩は命の糧だし、
天の恵み(神の慈悲)だし、いつでも自由に手に入るはずだよな・・・

この目覚めがビッグ・ウェーブを引き起こすことになりました。

ただ黙々と歩み海岸に向かうガンディーたちの後を、
ひとり、またひとり。その意志に従うものが
後から後からその行進に加わったのです。

ダーンディー海岸までの約380kmの行進は
やがて道を覆い尽くす数千人に達していました。

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ただひたすら歩くという、誰にでも理解でき実行できる行為だからこそ
次から次へと連鎖の渦を広げていったのです。
目的はただ一つ。生命線である塩の確保のためだけに。
しかしその結果が支配からの独立でした。

お見事です。人間生理とシンプルな行、歩くことだけで
多くの大衆を覚醒させたのです。

 

そして、もうひとつあります。
チャルカー(糸車)をただただ廻すという行為です。

これも塩と同じく、インドの大地の恵み「綿」に目覚める行為です。

「ふんだんにもともとインドにある綿を、
イギリスになんで搾取されなきゃならんのだぁ?」

「どこにでもあり、いつでも自分達で糸を紡ぐことができるのに、
原料インドのイギリス製の高い布をなぜ買わなきゃならんのだ?」

だから、ガンディーはいつもいつも、カタカタと糸車を廻し続けて
手本を大衆に見せたのです。自分で糸を紡ぎなさい。
そしてイギリス製の衣類は一切着ないようにということで、
ガンディーはいつも上半身裸で、1枚の自家製ドーティをまとっていました。

そして、来る日も来る日も、チャルカーをクルクルクルクル廻します。

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チャルカーもサンスクリットのチャクラからきている言葉です。
チャクラとは直訳すると『回転する輪』という意味。

人の身体にある7つのチャクラ(エネルギーセンター)は
すべて糸車のように回転しています。

だから、糸車を廻し続けることはチャクラを廻すこと、
すなわち生きていく行為そのものになるのだということなのです。

生活の糧に糸を紡ぐ。機械で効率よく大量に生産するのではなく
自分の手で汗かき糸ひきグルグル廻して、そして服を作るのだ。
そうすれば、生計も潤すことにつながるわけです。

インド独立を支えたのは、革命家や思想家の理論理屈ではなく
こうしたヴェーダの叡智を丹念に淡々と身をもって伝えた聖者と
大衆を目覚めさすシンプルな行為そのものだったのです。

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塩を作るためにひたすら歩く。
綿を紡ぎ糸を作るためにひたすらチャルカーを廻す。
それが、生きること、独立の証なのだと。

インドの国旗。真ん中にあるのがその象徴「糸車」なのです。

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最後は、あっけなく銃弾に倒れました。

大衆を目覚めさす力を持つものの運命でしょうか。
ケネディー大統領、ジョンレノン、マイケルジャクソンしかり。

ガンディーは打たれた時、「神よ!」と叫びながら
このものをお許しくださいと祈ったのでした。

マハトマとは『偉大なる魂』という意味です。

















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AUM


 


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精神世界

拍手[9回]

「大石よね」という女性は道頓堀付近の「二葉寿し」の次女として生まれました。
生まれて間もなく養子に出され、幼少の頃、山村流に師事し
1899年、名取となります。1901年に堀江のお茶屋「山梅楼」の芸妓となり、
その主人である中川萬次郎の養女となり「妻吉」と名乗りました。

そこで舞を精進していたときです。

1905年、養父の萬次郎が内縁の妻が駆け落ちした悲しみから酒に溺れ
とうとう狂乱してしまい、逃げた妻の母親、弟、妹、そして二人の幼女を
刀で斬りつけ6人を殺傷してしまうという惨劇が起こったのです。
世に言う「堀江六人斬り事件」です。

この事件に巻き込まれた妻吉は、
狂った父親に両腕を切断された上、止めをさそうと
口の中に刀を入れられ一回転させられてしまったのです。
二十数針を縫う大怪我を負ったのです。
一命はとり止めたものの、妻吉の人生は一変してしまいました。

その後の彼女は、話題の事件の被害者として名を馳せたのです。
両腕を切断された身障者という自身の姿を売り物にして地方(じかた)という芸妓に転向。
長唄、地歌などを披露しつつ桂文団治一座に加わり地方巡業で生計を立て、
母親を養う日々をおくることになったのです。


事件のときにその場にいた五人が死にましたが彼女は助かりました。
「五人は逃げたからです。私は逃げませんでした」と妻吉は語っています。

警察が彼女に証言を求めても
「父が不利になることは一切証言しません。
父の罪が軽くなる証言ならいくらでもします。」と言って
生涯、父への非難を一言も口にしなかったそうです。

「あなたは世の光となる人だとわかりました。
両腕が無いのに五体満足の人が脱ぎ捨てた便所のスリッパを
足を使って揃えていましたね。あなたをただならぬ人だと思いました。」
退院のときに婦長さんにそう言われたそうです。

彼女の人柄が滲み出ていたのでしょうね。

それから三年の後、巡業中のある日、
鳥かごの中のカナリヤを見た時に彼女に天啓が降りたのです。

親鳥が雛に口でえさを一生懸命与えている姿を見て
「鳥は手がなくても、くちばしだけで十分に雛鳥を育てている。
私には腕が無いが口がある。カナリヤに学んで私もそうしてみよう。」と氣づき
口に筆をくわえて文字を書くことを習得したのです。

くちに筆をとりて書けよと教えたる
鳥こそわれの師にてありけれ


そのときのことを歌にしたものです。

口に筆をくわえて墨で字を書こうとした瞬間、
涙が溢れ出してきたそうです。
書く字を知らなかったのです。いわゆる文盲でした。

それからの日々は巡業の合い間をぬって
苦労の末、字を学び習得するのです。


しばらくして、一座を離れ大阪に戻り藤村和尚に弟子入りをしました。
そこで国文学や書を習い、尼になりたいと願い出をします。

しかし和尚から「尼になる前に結婚し子を生みなさい。子を持つ親の悲しみ、
辛さ、夫への切なさを味わってからでも遅くない。」と言われました。

こんな両手の無い私に相手がいますか?と問うと
和尚は「念じていれば現れる」と答えたそうです。

その言葉通り、間もなくして山口草平という日本書画家からプロポーズされ
1912年に結婚。同年に長男、1917年に長女を授かりました。

彼女の波乱万丈な人生はこのまま幸せに向かうと思いきや
さてさて、さらなる苦楽の日々が次々と押し寄せてくるのでした。

夫の草平は、うだつの上がらぬ画家で極貧に苦しんだ末、
夜逃げ同然で上京することになってしまいました。

自分は一人前の身体ではないから一人前食べるわけにはいかないと
一日半分だけ食し、彼女の噂を聞き訪れてくれた人たちnもてなしたそうです。

草平も少しは名が売れ、妻吉の噂も広まり、
やがて大勢の人が訪れるようになったので遠縁の娘を
お手伝いとして呼んだのですが・・・・・・・、

今度はその娘と草平ができてしまい妊娠してしまったのです。
それでも妻吉は、その子を引き取り育てると申し出たのですが
娘は自分で育てると言い張っていたのです。

そんな折、草平が腸捻転で倒れ暴れる姿を見ても
妻吉はどうすることも出来ずにいました。
草平が舌を噛み切らぬようにその娘が口に手を差込んで
手厚く介護する様子を見たとき、妻吉は自分の二人の子を連れ
家を出て行く決心をしたのです。

そして間もなく関東大震災を体験。
子供たちと穴に飛び込み一命を取り留めました。
少しして大阪に戻り、師匠について学ぶのですが
こころのストレスによる病と診断される難病にかかってしまったのです。

「私は忍耐という仮面をつけて、悟ったふりをしていた。
皆に尊敬されいい氣になって耐える女を演じ、
悲劇から立ち上がった聖者のように繕って疲れていた。
私はなんと浅はかな女であろう、私は鬼でした。
今こそ正真正銘、裸になるときだ。」


ついに尼になる決心をした彼女は高野山へと向かったのです。

しかし高野山では、
「真言宗では印を組めない人を出家させるわけにはいかない。
印を組めないことは致命的ではないか。」という審議を受けたのです。

そこで彼女の師でもある和尚が
「こころの印というものもあるではないか。
形に捉われて優れた人材を失うのは惜しい。」

とかばってくれ、ついに金剛峰寺にて得度が認められることとなったのです。

名を順教(じゅんきょう)と改め、大石順教尼の誕生です。

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以来、仏道の毎日を送る傍ら、1936年に京都市山科の勧修寺に移住し、
身障者の相談所「自在会」を設立し、自分と同じ立場の身体障害者の
自立を支援する福祉活動に励み、1947年に佛光院を建立。
また、長年培われてきた口筆による書画が入選し晩年までその道を全うしました。

学び多き、幸多き人生。
それは障害多き人生でもあるということを
身を持って私たちに教えてくださった光の存在です。

何事も 成せばなるてふ 言の葉を
胸に刻みて生きて来し我れ    
順教尼



順教尼の最後の弟子として、直接学ぶことができた
「諦めない命の輝き」をみつけた日本画家「南正文氏」の話。

中学生のとき順教尼を訪ねその凛としたお姿にこころ打たれ
弟子にしてくださいと頼んだそうです。

一人でここまで通いなさい
口で絵を描きなさい
自分のことは自分でしなさい

それが弟子入りのための条件でした。




以前の記事で両手両足のない「ニック・ブイジチ」を取り上げました。
私たちの本質は肉体じゃない  もぜひご覧ください。




一番きれいな色ってなんだろう
一番光ってるものってなんだろう
僕は探していた 最高のGIFTを
君が喜んだ姿をイメージしながら

本当の自分を見つけたいって言うけど
生まれた意味を知りたいって言うけど
僕の両手がそれを渡す時
ふと謎が解けるといいな 受け取ってくれるかな

長い間君に渡したくて
強く握りしめていたから
もうグシャグシャになって 色は変わり果て
お世辞にもきれいとは言えないけど

白か黒で答えろという
難題を突き付けられ
ぶち当たった壁の前で
僕らはまた迷っている 迷ってるけど
白と黒のその間に
無限の色が広がってる
君に似合う色探して 優しい名前を付けたなら
ほら 一番きれいな色
今 君に贈るよ

地平線の先にたどりついても
新しい地平線が広がるだけ
「もうやめにしようか」自分の胸に聞くと
「まだ歩き続けたい」と返事が聞こえたよ

知らぬ間に増えていった荷物も
まだ何とか背負っていけるから
君の分までもつよ だからそばにいてよ
それだけで心は軽くなる

果てしない旅路の果てに
選ばれるものとはだれ
たとえ僕じゃなくったって
それでもまた走っていく 走って行くよ
降り注ぐ日差しがあって
だからこそ日陰もあって
そのすべてが意味を持って
お互いを讃えているのなら
もうどんな場所にいても
光を感じれるよ

今 君に贈るよ 気に入るかなぁ 受け取ってよ
君とだから探せたよ 僕の方こそありがとう

一番きれいな色ってなんだろう
一番光ってるものってなんだろう
僕は抱きしめる 君がくれたGIFTを
いつまでも胸の奥で
ほら 光ってるんだよ
光り続けんだよ

AUM
 


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拍手[7回]

呼吸の無音声マントラと呼ばれる『ソーハム』

ゆっくり息を吸いながら「ソー」とこころの中で言い
ゆっくり吐きながら「ハム」とこころの中で言う。

いわゆる坐禅の数息観に似て、
腹式呼吸で吸う息、吐く息に意識を集中する瞑想法です。

「ソー」という言葉が、日本語の「吸う」に
「ハム」が「吐く」という言葉に似ていますが
ソーハムはサンスクリット語です。

私たちは、日々意識しなくとも呼吸をしながら
このマントラを常に唱えているといわれます。

ヴェーダの聖者はこの呼吸法を意識して行うことにより、
肉体や心などの物質的な領域を超越し、
輪廻の束縛から解放されることを見出しました。

ソーハム=so ham は、直訳では「それは私」「彼は私」という意味になります。
万物に遍く浸透する遍在の至高神・ブラフマンと、自分自身が同一であることを示します。

このマントラは、神と自己が分離した状態をつなぐ力があると感じます。

アートマとブラフマンの合一です。神人合一、真我一如です。

瞑想で得られる静寂は『明鏡止水の境地』といわれますが、
この境地こそ、虚空蔵=アカーシック・レコードに接する世界です。

色即是空の『空』とは、すなはち虚空(アカーシャ)であり
すべての情報が書き込まれている領域です。

あらゆるものの過去・現在・未来が、
すべてのカルマや縁や感情までもが書き込まれている
全宇宙のデータベース・サーバーの在り処です。

ダキニカード・リーディングで、意識を中心において
ヴェーダの神々とつながると、驚くような言霊が降りてくるのも
実はこのアカーシック・レコードにアクセスしているからであります。


瞑想の時、クリスタル(天然石)を使うと
より意識が『空』につながりやすくなりますね。

クリスタルは、太古の記憶を記憶していて
遥か彼方の大地に共鳴しています。
時計や精密機器に使われるように正確無比です。

これだけでも凄いのですが、いちばんは、
クリスタルは人と同じ生命体であるにもかかわらず
エゴがまったくないということです。

だから、ピュアで透明なのです。

純粋性の中にしか神は宿れないといわれます。

この抜群の記憶力と水晶の正確さ、そして純粋さの力を借りて
空にシンクロするサポートをしてもらいます。


坐禅のときに丹田の位置で結ぶ『法界定印』はご存知だと思います。
道元禅師の曹洞禅と、白隠禅師の臨済禅ではやや印の結び方が違います。

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この印に、クリスタルを組み合わせてみます。


今回はアカーシック・レコードにアクセスしやすい

レムリアン・シードを使ってみました。

レムリア文明の叡智につながっているといわれていますが、
このクリスタルの凄さは、サイド面のバーコード状の段々が
すべてトップと同じ光を発するという他のトップにない特徴を持ちます。

いわゆる、全面がトップで光を
全方向に放射しているわけですから
瞑想には絶好のクリスタルですね。


持ち方は、道元禅師流なら、

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白隠禅師流なら、

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こんな感じで握ってみました。

普段、何も持たずの瞑想とどう違うかを試してみるといいと思います。

そして、足の組み方は半跏趺坐でも椅子に坐ってもかまいませんので、
背筋だけは、この天台大師様のようにピシッと伸ばしてください。
良き見本です。瞑想の姿勢の鏡です。頭の上に何か載せている、
あるいは天に引っ張られていると意識するといいでしょう。

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呼吸を整えて吐く息、吸う息に意識を向けます。
吸ったらお腹を膨らませて、吐くときへっこまします。

丹田に常に意識を集中していてください。


そして、いよいよ「ソーハム」

「ソー」・・・・私は、
「ハム」・・・神である
でもいいし、

「ソー」・・・・私は、
「ハム」・・・霊である
とイメージしてみます。

吸うは「生」、吐くは「死」を意味します。

呼吸と言いますが、吐くことを「呼ぶ」と言うのはなぜでしょう。
吐くと死=空=霊=神を呼ぶという秘密があったのです。

それでは、特別に、ババのお声で
ソー・ハム



呼吸のプロセスには、息を吸うことと吐くことがあります。
『ヨーガ シャーストラ』では、息を吸うことはプーラカム、
息を吐くことはレーチャカムと名づけられています。
息を止めることはクムバカムと呼ばれています。
空気を吸うときには「ソー」という音が出ます。
息を吐くときには「ハム」という音が出ます。
「ソー」は「それ」で、「ハム」は「私」です。
「私はそれである」、「私は神である」。
一呼吸一呼吸がこのことを宣言しています。

すべての生きとし生けるもののハートから生じる神の呼びかけにしたがいなさい。
敬愛の念を持ってそれに仕え、何も見返りを期待してはいけません。
すべての行為を内在の神に捧げ、感謝の氣持ちさえも受け取ってはなりません。
これによってあなたは浄化され、刻一刻と繰り返されている呼吸、
「ソーハム」(私は神)を聞くことが可能になるでしょう。
神と私の区別がなくなり一つに統一されるとき、
「ソーハム」は「オーム」へと変化します。

サティア・サイババ


AUM


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拍手[17回]

SHAKTHI PLANET
シャクティは光のヒーリング。それは太古のインドより幾千万年の時を駆けて受け継がれるヴェーダの叡智の一端。仏陀やジーザス、空海というヴェーダマスターたちが説く真理をいまに蘇らせるため「いまここに」。光絶やさぬよう仲間が集う学びの惑星に、シンクロしましょうか。
HN:
Palalan☆pi
性別:
非公開
自己紹介:
みんな、幸せになれますように☆シャクティの光☆広げ続けましょう☆この惑星にシャクティ降り注ぐ限り、きっとすべて大丈夫☆たくさんのハートを愛と平安で満たせますように☆
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